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自然と歴史を感じる 萩のたび

自然と歴史を感じる 萩のたび

数多くの史跡や文化財、古い町並みが点在する萩のまちを
散策してみませんか?

自然と歴史を感じる 萩のたび

自然と歴史を感じる 萩のたび

萩市は、江戸時代から幕末にかけての史跡の多く残る歴史ある町です。
「江戸時代の古地図が今でもそのまま使える」と言われているほど、当時の町割りがよく残っています。
年間250種類もの魚が獲れ、年間を通して新鮮で美味しい旬の地魚を食べることができます。
また、「見蘭牛(けんらんぎゅう)」や特産の夏みかんなど、萩ならではの味覚をお楽しみください。

無料送迎 ※要予約
  • ■お迎え(東萩駅発) 16:00/17:00/18:00
  • ■お送り(ホテル発) 7:50/8:20/8:50
萩観光ホテルのある、「笠山」

萩観光ホテルは、日本海に突き出た半島「笠山」の中腹に位置し、自然環境に大変恵まれています。
笠山は標高112mの日本一小さな火山。天然記念物の自生の「椿の群生林」、海水魚が住む不思議な池「明神池」がおすすめスポット。そして笠山には「風穴」がいくつもあり、夏でも12~13℃という涼しい風が吹き抜ける天然クーラーも楽しめます。
半島の各所には釣りスポットもありますので、四季折々の魚釣りが楽しめます。

笠山観光・釣りMAPはこちら

SIGHTSEEING

  • 萩博物館

    萩博物館当館より車で約20分

    「萩まちじゅう博物館」の中核施設です。
    萩の歴史・文化発信拠点として、吉田松陰、高杉晋作をはじめ幕末維新関連の実物資料を展示しています。

  • 笠山椿群生林

    笠山椿群生林当館より車で約5分

    笠山の北端にあたる虎ヶ崎には、約10haの広さに約25,000本のヤブツバキが自生しています。開花期間は12月上旬~3月下旬と長く、例年2月中旬~3月下旬頃に見ごろを迎えます。見頃にあわせて、毎年「萩・椿まつり」が開催されます。

  • 笠山山頂展望台

    笠山山頂展望台当館より車で約5分

    標高112mの笠山は、北長門海岸国定公園の中心に位置し、玄武岩大地に直径30m、深さ30mの小噴火口を持つ日本で最も小さな火山です。盛夏でも気温が15℃前後と涼しい天然のクーラー「風穴」群や笠山と本土の間の溶解岩と砂州により成り立つ海跡湖の明神池、山の先端に位置する虎ヶ崎には10haにわたって60余種、およそ25,000本のヤブ椿の群生林など自然がいっぱいです。


  • 東光寺

    東光寺当館より車で約20分

    東光寺は、元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、大照院とならぶ毛利家の菩提寺です。
    吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並んでいます。

  • 大照院

    大照院当館より車で約20分

    大照院は、臨済宗南禅寺派の寺院で、2代藩主綱広が亡父の初代藩主秀就の菩提所とするために、承応3年(1654)から明暦2年(1656)にかけて再建しました。隣接する萩藩主毛利家墓所は、秀就以下2代から12代までの偶数代の藩主と夫人及び一族、秀就に殉死した7藩士の墓石があり、墓前には藩士が寄進した石灯籠が600数基あります(国指定史跡)。

  • 萩八景遊覧船

    萩八景遊覧船当館より車で約20分

    萩城跡横の指月橋をスタートし、堀内伝統的建造物群保存地区を眺めながら橋本川を遡る約40分の遊覧船です。
    天候の良い日には、指月山や萩城跡潮入門跡・白砂青松の菊が浜を眺めるコースも追加されます。
    春は橋本川沿いに咲く桜並木を水上から眺める萩市民にも人気の遊覧船です。

  • 浜崎伝統的建造物群保存地区

    浜崎伝統的建造物群保存地区当館より車で約20分

    浜崎は、城下町の形成にともなって開かれた港町で、近世は北前船の寄港地として廻船業と水産業で栄え、大正から昭和初期にはイリコなどの水産加工業や夏蜜柑等の積み出し港として栄えた。江戸時代以来の街路、敷地割がよく残り、南北を走る本町筋を中心に江戸時代から昭和初期に建てられた町家が数多く残っています。

  • 藍場川

    藍場川当館より車で約20分

    萩の中心部を約2.6kmにわたり縫うように流れる小さな川です。
    江戸時代は農業用水や防火用水、川船での運搬に使われていました。
    現在では至る所で鯉の泳ぐ憩いの場になっています。

  • 天樹院墓所

    天樹院墓所当館より車で約20分

    萩藩を創設した毛利輝元の墓所。
    もともとここは輝元の隠居所(四本松邸)で、輝元亡き後に天樹院という菩提寺が建てられましたが維新後に廃寺になりました。竹林に囲まれた静かな場所に五輪塔形の墓が残っています。 

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